「モジャ!」 season2 第六回
トンネルぬけて
「悪いけど、断るよ」と、俺は言った。
耳元で、「違う違うそうじゃない」と鈴木雅之の歌声が聞こえた。
「どうして? 私、すごく甘いわよ。それに、ビタミンだってたっぷり含まれてる」
「そういう問題じゃないんだ」
「じゃあ、どういう問題?」
ラ・フランスは洋梨だから、日本風の曖昧論法が通じる相手ではなかった。空気の圧力は日常的な忖度から戦意高揚に至るまで広範で強大だが、空気が読めない相手には完全に無力となる。ましてや、こうして一対一で対峙している状況では、周囲を巻き込んで空気を醸成することで外堀を埋めていく永田町的大手町的町内会的手法をとることもできない。
大体、曖昧な言い方で察してくれという態度の問題点は、曖昧な言動をとっている当の本人の意識が、自分が今の立ち位置を維持するために何をすべきか、何を言うべきかということにだけ向けられていることで、自分が本当に何をしたいのかを確かめもしなければ、自分が本当に何を言いたいのかを考えてすらいないことにある。椅子取りゲームと票集めだけが目的のブルジッドジョブなのだ。
俺だって、言おうと思えば正論なんていくらでも言える。それくらいの知恵と経験はあるつもりだ。例えば、君と僕とは歳が違いすぎるとか。僕にはもう、君の種を遠くに飛ばすだけの肺活量がないとか何とか。だけど、それは、あくまで社会的な発言で、ラ・フランスと二人きりの、お互いがお互いを、あるいはお互いが自分自身の深淵を見つめるしかない、この状況下ではまるで意味のない言葉になるだろう。
俺は、俺の言葉を見つけなければならないけれど、パッと思いついたのは、「なんか違う」って言葉だけで、それは以前俺がラ・フランスに言われた言葉そのままで、それじゃあ、あまりに芸がないし、この「なんか違う」のループから永遠に抜け出せない気がしてしまう。そう、そうなんだ。俺は、抜け出したいのだ。トンネルぬけて〜とドントが歌う。
俺は、ラ・フランスの問いかけに答えようとするうちに、また自分のモジャモジャとした世界に入り込んじゃって、一人で勝手に納得してなんかスッキリしちゃったもんだから、そろそろ帰り支度をしようか、なんてイームズチェア風の椅子から立ち上がった。
「・・・私、不味そう?」
ラ・フランスは、まだ自分の魅力に気づいていないから、こんなこと平気で俺に聞くんだろう。その不安げな表情を、俺はまた、美しいと思った。この世界は、不味いものを旨く見せかける思考や商売に汚染されている。だけど彼女はまだ“盛る“ことを知らない。“盛る“という名の病に侵されていないのだ。
「そんなことはないよ。それに俺にとってはね、美味いとか不味いとかは、そんなに大事なことじゃないんだ」と言ってる俺は、ダバダ〜の音楽とともに、湯気でグラサン曇らせながら珈琲を吸い込んで違いのわかる人になろうと必死な男だ。
だけど、そんな自分をスルーして、こうやって綺麗事みたいな、だけど本当の気持ちをラ・フランスに話すのは、俺もまだ、この世界を諦めていないからかもしれない。「違う違うそうじゃない」と鈴木雅之の歌声が再びフェードインしてくる。何がどう違うのか、俺にはさっぱり分からない。だけど、思考がフリーズした時にだけ、俺はもう一人の俺に出会えるのだ。
「ただね、気乗りしないんだよ」
お、なんか、俺、いい感じなこと言ってるぞ、と我ながら思う。なんか違うの“なんか”を体温のある言葉に置き換えることに成功しかけている。
さて、トンネルの向こうは?
(続)
ロケ地:チャンピオンベア(調布市商工まつりにて)
テキスト:ミフキ・アバーチ
撮影:コミー
出演:モジャ、アッキー、サマーカーター・トゥーイ