片岡好デザイン事務所

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「モジャ!」 第四回 レームダッグ

 光の加減だろうか、女の目は緑色に光って見えた。俺は、「愛らしき口もと、目は緑」を思い出していた。サリンジャーの中で、「バナナフィッシュ日和」の次に好きな短編だ。  
 目の前のコーヒーがフェアトレードであることを、壁に貼られたポスターが声高に主張している。もはやこの社会では、フェアネスさえもビジネスにコキ使われているのか。  

「40を過ぎた男は、みんなレームダッグね」峰不二子にコムアイをひとつまみ加えた口調で女が言う。  「なこたぁないさ」松田優作に、吹き替え版のアル・パチーノを濃厚に塗り込んだ声色で瞬時に切り返す。会話に必要なのは意味よりもリズムであることを、俺はエミネムと大阪のおばちゃんたちから学んだ。  
「いや、レームダッグよ」女は、執拗に同じ横文字を繰り返す。  
「じゃ、そういうことにしておくよ」と言った俺は、レームダッグの意味を実は知らない。知らないけれど、とっさに知ったかぶりをしたのは、女が美しかったからだ。  

 かねてから俺は、知ったかぶりをする輩を軽蔑してきた。知ったかぶりは、虚栄心の塊、権力の無茶ぶり。それは、イケメンの鼻毛のように恥辱まみれだ。ならば俺は、そんな世迷いごとから遠く離れて、陽灼けした野辺を一匹のヤモリのように這っていきたい。そして、種田山頭火のような句が詠みたい。  

 だが理念はいつも、目前の現実に敗北する。女の色香を肺の奥深くまで吸い込んだ俺は、俺を俺以上の何物かに見せたいという欲求にかられ、気づけばメールを返信するフリをしながらレームダッグを検索している。 とどのつまり、まだまだ修行が足りぬのだ。早川義夫の「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」をリピート再生する必要があるんだろう。  

「お前は、神保町のモジャ。新宿の母ではない」

 突然、お告げのような声がした。それは、空気ではなく俺の体内を震わせた。どこか懐かしいその響きは、「迷わず行けよ、行けばわかるさ」と、アントニオ猪木の名言をまるっとパクって、満足げにそのまま黙った。
 かつて思想家は言った。言語の根幹は沈黙であると。声なき声を求めて俺は、スマホから顔を上げた。目に入ったのは、小鳥のようにカップを啄む女の唇。それは柔らかな花弁のようで、コップのフチ子さんになりたいと心底思った。

 ごくり。女がコーヒーを飲み込んでいく。俺は反射的に女の喉仏を見る。人間の本質は、制御不能な部位にのみ現れる。たとえば俺のモジャのように。

「役立たずさん」コーヒーを飲み干して女が言った。まるでベッドを後にするように。 その瞬間、俺は気づいた。小さく震える女の喉仏が、完璧なデザインであることに。 (つづく)


STORY:ミフキ・アバーチ  PHOTOGRAPHY:サマーカーター・トゥーイ  STARRING:ウーコ・カオターカ

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